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生きた心地がしなかった 四国出張記(失敗談 システムのバックアップは大事 だよー)

 四国への出張の為、新大阪から新幹線に乗り込んだ。うとうとしながら数十分。もうすぐ岡山駅というあたりで、そろそろ荷物でもまとめようかなと。...あれっ!?? 思わず「あーーっ!」って叫んで固まった。もう心臓ドキドキ、冷や汗がダラダラ、顔面蒼白。今までの人生の中で一番血の気が引いた出来事が。人生終わったと思った...マジで

 今から20年以上前、ソフトウエア開発に従事していた会社員時代。四国にあるダムの監視制御システムのハードディスクが故障したので、それを取り換えてシステムを復旧させる緊急の仕事の依頼が入った。以前D社から発注を受けて自社がソフトを組んだ10年以上稼働していた古いシステムで、そのシステムを知ってる人間は自分位しか残ってない。「しゃーないなぁ」と自分が担当した。いや、するしかなかった。

コンピュータと言ってもパソコンではなく、D社独自のデカい筐体に入った昔の物。FORTRANと言う言語でプログラミングされていた。ハードディスクの取り換えは、D社が担当する。OS(D社の特殊なやつ)とアプリケーション(自社が以前製作)を再インストールして動作確認するまでが出張の主目的。

実はこの復旧の為のソフトウエアのバックアップは、開発した自社にしか保管されてなかった。現地のは古いので使えない。D社にも無い。

昔のでかいフロッピーディスク(8インチ)10枚程度にそのソフトが入っている。世の中でたった1つのバックアップ。その唯一のフロッピーを纏めた箱,システムの資料,簡単な取説,作業服等を大きな手提げの紙袋に入れ、1泊の着替え等は小さいリュックに入れて、現地へ向かった。(8インチFDなんて、この当時でさえ絶滅種だった)

 朝から現場に入る為、夜 現場近くの宿に前泊の予定だった。
夕方出発し、新大阪で新幹線に乗り岡山へ。岡山からはJRで瀬戸大橋を渡り、四国の某駅まで行く。何度か行ってる場所だし、ダム近辺はなかなか景色が良い。半分旅行気分で出発。これがいけなかった・・・。

新幹線に乗車して数十分、もうすぐ岡山駅という所で、、、あれっ?!。なんと、フロッピーディスクが入った手提げ紙袋が、、、、、無い。「あ゛ーーっ!」て叫んだと思う。心臓の鼓動が一気に早くなるのが分かる。「落ち着け」と自分に言い聞かせながら思い出してみる。と、そもそも紙袋を新幹線に持ち込んでないかも。と思いながらも座席周辺を必死で探したけどやっぱり無い。到着ギリギリまで通路・網棚・前後の席も含めて探した。

 このフロッピーが無いと、ハードディスクが故障したシステムは復旧できない。数千万円(いや億以上か?)かけて開発したシステムが全く動かない事になる。デカいただの鉄箱になり下がる。ダムの制御や監視が..。「ごめんなさい💦唯一のバックアップフロッピを紛失しましたー(泣)」では到底済まされない・・・。と頭の中を駆け巡る。どこで忘れたのか? 
思い出してみると、新大阪駅までは紙袋を持っていた記憶がある。が、新幹線に持って乗ったかは自信がない。もう目の前が真っ暗。手が震えてる。

岡山に到着して、すぐに忘れものが届いてないか駅の窓口に確認。新大阪駅に忘れた可能性が高く、確認してもらったが届いてないらしい。たぶん必死な形相で確認したと思う。
どうしよー!とりあえず新大阪駅へ戻ろう。上りの新幹線に飛び乗った。どう行動したかあまり覚えてないけど 「もし見つからなかったら・・」 「どこに忘れたのか・・」 「なんて説明すれば・・・」 「復旧させる方法が他にあるか?・・」 とグルグル頭の中が回ってる状態。冷や汗、顔面蒼白、脈拍はかなり高かったはず。新大阪まで体も頭も固まったまま新幹線で戻る。

新大阪のホームに新幹線が入った時、窓から反対のホームを凝視。もしかして出発ホームに忘れてるかも・・・と。が、紙袋は見えずに落胆した事を良く覚えてる。
目が血走り、顔はひきつり、普通じゃない状態。手足もガチガチ。
新大阪に到着し、エスカレータを降りて、必死に通ったと思われる経路を順に探す。探す。探す、、探す・・・。

ある柱の横に紙袋ぽいのが見えた。駆け寄ると見覚えのある作業服が紙袋から見えてる。あった??  確かに乗車する出発時間確認の為にここで立ち止まった様な気がする。
いやいや、中を確認するまで未だ安心できない。
フロッピディスクの箱は紙袋の底にあった。フロッピが全部揃ってる事を慎重に確認して...そこでやっと安堵。「ふーっ」、いっきょに血圧は平常に戻り、急に喉が渇いてる事を思い出した。
しかし、新大阪⇔岡山往復+αの時間(2時間位か)、誰にも取られずにずっと手提げ紙袋が駅構内の柱の横にあったって奇跡では。結構人通りも多いのに。
奇跡!日頃の行いか・・・と急に強気になったかどうか、、、覚えてない。

 時間的に今日中に現地に入るのはもう無理ぽい。現地の担当者に「事情により朝から現地に入れなくなりました。昼一には入る様にします。申し訳ありません」と連絡。間違ってもバックアップのフロッピを途中で見失ったので・・・とは言えない。
疲れた....。今夜の宿はキャンセルしたし、一旦家に帰ろ。

翌早朝に自宅を出発して昼に現地入りした。もちろん手提げ袋はしっかりと胸に抱いて移動。
現地に入って、最初うまくOSインストールできずにD社の詳しい人に電話で聞きながら、なんとか残業してその日のうちにインストールして動作確認。何度か利用した事のある小さい食堂兼ホテル?民宿?に一泊。翌朝、正常に稼働してるか確認し、バックアップを取って無事に終了。

同じ思いを二度としたくないので、バックアップは現地保管用と持ち帰り用の2部作成(フロッピーディスク10枚×2部)。帰ってから手順書も整理して作業終了。一件落着。(前日の新大阪⇔岡山の交通費は申請できないので自腹💦)

 しかし岡山から新大阪に探しに戻る間は地獄だった。「生きたここちがしない」と言うのはこういう事を言うのかと思う。もう60年ちょっと生きてるけど、この時ほど心臓バクバクした事はない。もし見つからなかったらどうなってたのか。どう人生が変わったのか、恐ろしくてあまり考えたくない。

持ち物は、ポイントポイントで確認すべきやね。そもそも手提げ紙袋ってのがダメダメ(反省)。バックアップが発注元にないのも、今じゃ考えられないね。恐ろし過ぎるー、南無・・。

 今週のお題は「ゾッとした話」って事で、自分にとっては「ゾッと」と言うレベルじゃ済まされない事件だったけど、お題に乗っかり、思い出したくない事をドキドキしながら書いた。

出張での話は他にも「空港の床に段ボールひいて一晩寝た東日本大震災の時)」とか、「移動中に事故りそうになった(死んでたかも)」、「後輩残して自分だけスキーに行ったw」、「トラブルで帰れず、子供の運動会に行けなかった(まぁ良くある話)」とか色々出張話はあるけど、このフロッピ紛失事件に比べれば、どうってことない。けど、また機会があれば書こうかな。

 最後に、当たり前だけど「修正する前にバックアップを取る」ってのは鉄則。バックアップがあれば、最悪修正前の状態に戻せるし(履歴管理してるんでしょうけど、丸ごとバックアップも大事)。ただ、その管理が曖昧だと大変な事になるよー。

以上

追記:本文で乗車駅は「新大阪」で書いたけど「新神戸」だったかも。どこから乗ったか記憶が曖昧。ま、このさいどっちでもいいか。 
尚、このシステムが今も稼働してるかどうかは不明(退社する数年前までは稼働してた様だけど・・)。
D社って書いたけど、社名の先頭はDではありません。内緒です。